昆虫採集(ポンチエ)■ はじめに

 昆虫採集については、それぞれの立場から賛否両論があって、なかなか決着がつかないで議論が平行線のままです。昆虫採集にまつわる話題を一つ取り上げてみましょう。
 ある小学校の2年生が、夏休みの宿題に昆虫採集の標本を作り、張り切って学校へ持っていくと、友人達に「死体や、死体や、殺したんやろ」とはやし立てられ、女の先生までが、「何て残酷なことをするの!」と悲鳴をあげたのをみて、その子供は泣きながら帰宅したという話を聞きました。そんなことが新聞の記事になったりして、子供達の夏休みの宿題で定番だった昆虫採集をやる生徒も何時の間にかいなくなってしまいました。マスコミは、一方的に片方を批判するのではなく、双方の意見をバランスよく並べて、「この問題はこういうところが難しいけれども、こんな風に考えれば解決の道が在るんじゃないの」と我々がなるほどと納得できるようなコメントが欲しいものです。批判をするだけなら誰にでも出来ます。「だからこうしたらいい」という意見にしても現実味を帯びたものであって欲しいなと思っています。
 そういえば、最近採集地などで出会う採集者の年齢も年々確実に高齢化しているようにも思います。日本での「生命尊重論」は純粋であるだけに、極端に走りがちです。最近は環境破壊と自然保護と生命尊重論の三つががっちり組み合わさってどうにもならないところまできているのではないでしょうか。
 環境保護というのは、「人間の都合ばかり優先しないで、少しは他の生物のことも考えたらどうなんだ」というごく自然の素朴な感情からスタートしたはずです。ところが、「何のためにやっているのか」という反省的意識が欠如すると、人はしばしば手段そのものを最終目的にしてしまいます。
 そこで、自然を破壊をしないで思考実験をやってみましょう。ここでは、少し乱暴ですが食物連鎖から蝶と天敵と昆虫採集の関係をシミュレーションで再現して、何が問題なのかその可能性を少し探ってみることにしましょう。

      食物連鎖の非線形モデル
 アドリア海の漁師は第一次大戦中は戦争に行っていて魚をとりませんでした。戦争が終わって再び漁に出た時は、さぞかし魚が多いだろうと喜び勇んで出かけましたが、実際には魚の数は減っていて「がっかりした」という話があります。
 実は、魚をとって食べていたのは人間だけではなかったのです。漁師が漁に出なくなったため小魚が増えました。すると小魚を餌にしていた鮫が増え、そのために餌になる小魚が減少したのです。
 捕食・被食をキーワードにWebサイトを覗いてみると、必ずボルテラの式にぶつかります。捕食・被食の2生物間のシミュレーションです。
 この式は、第一次世界大戦後にアドリア海における鮫と小魚のモデルとして、アメリカのロトカとイタリアのボルテラによって研究された有名な生存競争のモデルです。
 ロトカ-ボルテラの方程式は次のような連立微分方程式で表わされます。
 



 この式は、高校程度のレベルでは解くことが出来ません。そこで、別のアプローチで、この式を蝶に適用してみましょう。

 蝶が命を失うのは、卵の時期、幼虫の時期、蛹の時期、成虫(蝶)の時期に分かれますが、それぞれの時期に天敵が沢山存在します。ここでは、昆虫採集の話と関連付けるために蝶(成虫)の時期に限って、蟷螂や蜘蛛(以下天敵と呼ぶ)の話に限定して話を進めようと思います。
 モデルは蝶が食べられる側、天敵が食べる側と仮定しますが、その天敵も食物連鎖の中では食べられる側にまわることがありますが、ここでは問題を簡単にする為にこのことは考えないことにします。
 まず、簡単なモデルを考えましょう。
 基準の年から n 年後の天敵の数を Xn、蝶の数を Yn とします。基準の年には X0、Y0 の数の天敵と蝶がいたとします。
 天敵だけがいて、蝶がいなければ毎年天敵の数は a 倍ずつ減っていくとすれば、
 
      Xn+1=Xn-aXn           @ (天敵の式)

 蝶だけがいて、天敵がいなければ毎年、毎年蝶の数が c 倍ずつ増加するとすれば、

      Yn+1=Yn+cYn            
A (蝶の式)

 これらの式では餌の蝶がいなければ、天敵は全滅し蝶は増えつづけて野山にあふれることになりますが、現実にはそうはなりません。そこで、もう少し現実的なモデルに書き換えましょう。
 まず、蝶がいれば、その数に応じて天敵の減少率は緩和されるわけですから、式
@の a の代わりに a−bYn とします。bYn は蝶の数 Yn に応じて増加する天敵の割合を表します。
 同様に、蝶も天敵がいれば、その数に応じて、蝶の増加率 c が影響を受けるはずですから、c の代わりに c-dXn とします。ここに、dXn は天敵の数 Xn に応じて減少する蝶の数を表します。
 そこで、式
@Aを書き直して見ましょう。 

       Xn+1=Xn-(a-bYn)Xn    
@ (天敵の式)

       Yn+1=Yn+(c-dXn)Yn    
A (蝶の式)

となります。さて、出来上がった式は非線形の連立微分方程式を差分形で表したものですが、先ほどの微分形よりも判りやすくなっています。というのは、一つ前のXnやYnの値が求まれば、Xn+1やYn+1は簡単に求まるからです。ただ、この式は解析的には解けないので、コンピュータの助けを借りることにします。

■ 数値計算

 計算は基準の年から n 年後として、式を立てていますが、この微分方程式が差分形なので、少しでも計算の精度を上げるために、更に1年を12等分、すなわち月単位で計算します。また、以下に示す係数は、何度か計算をして、食物連鎖が終わらないように狙いを定めて決めたものです。
 まず、
(1)基準の年に天敵が Xo=1.0万匹、蝶が Yo=100万匹いたとします。捕食者1に対して、被食者100という割合は生物の資料には良く出てきますし、実際にシミュレーションを行ってみても、これが比較的リ
ーズナブルな値であることがわかります。
(2)天敵だけで、蝶がいない場合天敵の数は毎年2/3ずつ減っていくとすれば =2/3 となります。
(3)蝶だけがいて、天敵がいなければ毎年蝶は1/2ずつ増加するとすれば =1/2 となります。
(4)蝶の数に応じて、増加する天敵の比率を  b=1/300  とします。
(5)天敵の数に応じて減少する蝶の比率を d=1/2 とします。

係数 a,b,c,d とも月単位で変化を考えますので、以下のようになります。
 a=2/3×1/121/18
 b=1/300×1/121/3600
 c=1/2×1/121/24
 d=1/2×1/121/24

 これだけであれば、人間の介入がない食物連鎖の話で終わるわけですが、この連鎖の中に、人間の昆虫採集が加わったらどうなるかを、検討しておきましょう。
 このプログラムを余り変更しないで、昆虫採集の影響を見るために、次のような操作をします。
 すなわち、蝶の天敵がいなければ毎年 1/2 増加しているわけですから、昆虫採集で、例えば蝶の10%を採集するとすれば、
 c=1/2 c=1/2(1-0.1)=9/20 となります。12分割に増やしていますから、cとして、c=9/20×1/12=3/80 を使えばよいわけです。以下、昆虫採集の影響はプログラムの中で自動的に計算できるようしています


■ 計算結果

 連立微分方程式のようなものでも、これらを差分形で表すことが出来れば表計算ソフトを利用することが出来ます。カオスとマイマイガ(4.05)のところでもこれを利用していますのでご覧ください。
 最近はコンピュータを購入すると、ワープロソフトや表計算ソフトが同梱されている場合が多いようです。そこで、上の計算を同梱の表計算ソフトのExcelで実行したものを以下に示しておきましょう。
 まず、入力する初期値をセルB3〜C12に用意します。次にセルB15とセルC15に天敵1(万頭)と蝶100(万頭)を入力します。後は、表の右に書いてあるように、セルB16とセルC16に以下の式(1)、式(2)を入力します。

セルB16には

=B15-($C$7-$C$8*C15)*B15

・・・(1)

セルC16には

=C15+($C$9-$C$10*B15)*C15

・・・(2)

これをセルB16、C16以下にコピーしていきます。コピーの方法は、セルB16、C16のセルの右下のコーナーにマウスを持っていき、中抜きの+の記号が普通の+の記号に変わったのを確認して、クリックしたまま欲しいNo.までコピーしていけば、時系列の結果が得られます。
 Excelの場合は、BASICやVISUAL BASICのようにプログラミングの勉強も不要なので簡単です。皆さんもぜひやってみて下さい。

数値計算結果を以下に示します。

1 蝶の数と天敵の数のサイクリックな変動

 まず、図1.は年ごとの蝶と天敵の変化を表しています。最初の年は蝶が増え始め、天敵が減っているところから始まります。蝶がどんどん増えていくと、天敵もそれに遅れて増えていきます。天敵が勢いに乗って増え始めると、蝶がまた減っていきます。そうすると、天敵も遅れて減っていくという、典型的な食物連鎖の流れとなります。なお、図2は、このサークルの蝶と天敵の位置関係を示します。

図2 食物連鎖

 次に、天敵の数と蝶の数の変化を見てみましょう。図3.は昆虫採集が0%、10%、30%の場合の蝶と天敵の関係です。図1.と同じ説明が可能です。食物連鎖によって、増減をサイクリックに繰り返しているのが分かります。
 この方程式の解は完全に閉曲線です。結果は差分方程式の分割数が荒いために計算誤差が発生しており、解は閉じていませんが概略の傾向を見るための計算なので解としては十分でしょう。

3. 蝶と天敵と採集者

 図中、10%とあるのは、昆虫採集者が蝶全体の1割を採ってしまう場合を想定しました。昆虫採集で1割を採ってしまうというのは大変なことですが、閉曲線の形も蝶や天敵の変動もグラフは若干左に寄り気味ですが、1割採ったぐらいではドラスティックな変化は見られません。図中、30%とあるのは、採集者が蝶の3割を採るという、乱獲に相当する場合の計算です。結果は図のようになり、少し様子が変わってきます。すなわち、閉曲線が明らかに左に寄っていくことが分かります。ここでは蝶の絶対数は余り変わりませんが、天敵に大きな変化が見られます。「蝶を採ったら、蝶は減らずに天敵が減る」という結果です。12年位のサイクルではこういう計算結果になります。つまり、食物連鎖では、より上位を占める種は生態系全体から見れば、より弱い立場にあるということを示しているわけです。

■ おわりに
 シミュレーションでは初期値や定数を設定して計算を行いましたが、もっとパラメトリックにやって、全体の傾向を掴まなくてはなりません。この例では、繁殖力の旺盛な種を想定してのシミュレーションですが、乱獲という要素を入れると生態系全体に影響が出ることがわかります。
 この問題をパラメトリックに扱っていくと、不思議なことに気がつきます。つまり、蝶と天敵が共存する(すなわち、両者が滅びない)ためには、両者の生存数にある程度の制限があるということです。勿論、採集者の数も微妙に影響してきます。皆さんも計算で確かめてみて下さい。結構面白い結果に辿り着きますよ。
 さて、このシミュレーション、複雑な食物連鎖を分かりやすい形でモデル化するにはどうすればよいかを色々考え、天敵と蝶との断面を切り取って見た場合にどうなるかという問題に絞って考えることにしました。変数が多すぎてモデル化が難しい場合、よく使う手法ですが、皆さんからの非難を覚悟の上で作成しました。どうでしたでしょうか。「現実のモデルはもっと複雑だよ、一部のパラメターのみを取り出してシミュレーションを行なうのは無茶だよ」という声が聞こえてきそうです。牽強付会で話にならないと言われる方もいるでしょう。

 生物多様性が声高に叫ばれている割には、大人も子供も身近な生き物の名前を知らない人が多いようです。孫たちの理科の教科書を見る機会がありましたが、そこにはこんなことが書かれています。「花や、葉や、虫などはとらないで、生きている様子をそのまま観察しましょう」とあります。教科書にこんな乱暴なことを書いて良いのでしょうか。純真な生徒達は、この言葉を真に受けて、花や虫をとっている友達のことを「あいつは悪い奴だ」と本気で思うことでしょう。このようなことが、「はじめに」のところでも述べた事件へと繋がっていくのです。
 「採らなくても観察するだけで植物や昆虫の名前は覚えられる」というのは頭の中でしかものを考えることの出来ない頭でっかちの大人達の単なる屁理屈にすぎません。どんなに頭を使って考えても、昆虫と触れ合って、そこで手触り感を獲得しない限り、本当に考えたことにはならないのです。自然や身近な動物や植物たちは科学の入口です。学校は自然との正しい対話の仕方を身につける場であって欲しいと願っています。

多くの子供たちは、本能的に虫取りが好きなのです。それを禁止しておいて、国をあげて理科の好きな子供を育てようなんてどだい無理な話です。