蟻は高いところから落ちても死なないのはなぜか


 生物を数学的に扱うということは、対象を極度に抽象化することになります。生態学でよく出てくるロジスティック関数などはその良い例です。これについては、別のところで述べていますが、以下に示す式も、生物を全く抽象的に扱っていて、「蟻」と書いてはいますが、小型の生物を対象にしているだけで特に「蟻」を念頭に置いているわけではありません。
 ロジスティック関数の発想は、もともと以下に述べる「媒体中をある速度で進む(落ちる)物体は、その速度が増すごとに抵抗が増えて、速度が減少する」という、流体力学の原理にあるとも言われています。

 さて、飛べない昆虫や小動物たちを、その動物たちにとっては「高い」と思われるようなところから落としても死んだりはしませんが、このことを不思議に思った人はきっと多いことでしょう。「何故だろう」と考えたことはありませんか。難しそうですが、一緒に考えてみましょう。

 まず、我々が観察する事実から何かヒントがないかを見てみていきましょう。
 大きい動物だと、高いところから落ちると大怪我をするか、運が悪ければ死んでしまいますが、小さい昆虫や動物だと致命傷を負うこともなく、落ちても何もなかったように平気で動いているのを良く見かけますが、この辺りに、ヒントがありそうです。つまり、大きい→慣性力が大きい、空気抵抗が小さい。小さい→慣性力が小さい、空気抵抗が大きいというのがヒントのようです。
 動物の放熱のところで、こんなことを書いたことがあります。以下に再記しておきましょう。

 小さな動物ほど放熱量が大きいことをご存知ですか。ちょっと考えてみましょう。
 まず、幾何学的に相似な物体を考えてみます。たとえば、1辺が1の正6面体では辺が2倍になると、表面積は22=4倍、体積は23=8倍になります。体積は質量密度(単位体積あたりの重さで、普通の動物ではほぼ1g/cm3に近い)を掛ければ体重に当たりますから、物の重さと考えてよいでしょう。

 そこで面積/体積を考えてみます。そうすると、

  面積/体積=(長さ)2/(長さ)3=1/(長さ)

になります。大きい動物で長さ→大になると、1/(長さ)→小となりますが、小さい動物で長さ→小になると、1/(長さ)→大となり、小さな動物ほど、体積(重さ)あたりの表面積が大きくなります。つまり、「小さい動物ほど、体重あたりの表面積が大きくなる」わけです。

 さてこれをヒントに、同じ重さのボールと鉄球を同じ高さから落としたとしましょう。どちらが先に落ちるでしょうか。あの有名なピサの斜塔の落下実験は、空気の抵抗を考慮していない典型的な例であることを思い出してください。
 さて、同じ重さですが、ボールのほうが表面積が大きく、鉄球は表面積が小さいので空気抵抗が異なり、したがって同時に落ちるわけではありません。表面積は、ボールのほうが鉄のよりも大きいので、空気の抵抗もボールのほうが大きいわけです。したがって、落ちる速度も空気抵抗の少ない鉄球のほうが速く落ちるというのは容易に想像できますね。

 つまり、答えを先にいってしまうと、「蟻が高いところから落ちても死なないのは、体重が軽いために慣性力が小さいことと、小さくなるほど体重に比べて、表面積が大きくなり、より大きい空気抵抗を受けて落下速度が小さくなることにより、そのことが、着地時のショックをやわらげてくれる大きな原因になっています」というのが正解です。

一気に答えを出してしまいましたが、これを少し物理的に見て補足しておきましょう。物理は大嫌いという人は、ここでお別れしましょう(もとに戻る)。 ちょっと挑戦してみようかなと思う方は引き続きお読み下さい。数式が出てきますが、解だけでもながめて下さい。

図1. 落ちている蟻に働く力

 さて次に、高校の物理の力を借りて、落下運動について式で追いかけてみることにしましょう。
 ここで、物が落下する場合、下向きに慣性力をとると、上向きに空気抵抗、下向きに重力を受けます。図1.は蟻が下に落ちているところをポンチ絵にしたものです。
 普通、落下速度が遅い場合は空気抵抗は落下速度に比例すると考えても良いとされています。 質量m(kg)の物体を自由落下(持ってたものを手を離して落とすこと)させた場合、通常は、物体の速度v(m/sec))に比例した空気抵抗(bv:ただしbは抵抗係数)*が働きます。
 *「この空気抵抗の項は、落下速度が速い場合は速度の二乗、もっと速い場合には速度の三乗に比例するなど色々扱い方が異なります。」
これを、数式で表すと式(1)のような一階線形微分方程式になります。
      

 
        

ここに、m は物体の質量(kg)
    
mdv/dt は慣性力(kg・m/sec2
    
mg は重力(kg・m/sec2
    
bv は空気抵抗(kg・m/sec2
    
t は時間(sec)です。
単位はMKS単位としますが、cgsでも同じで、単位をそろえておけば結構です。


 今回は、式の解法が目的ではありませんので、結果だけを示しておきましょう。ここは、大学程度の知識が必要かも知れませんが、解は特解と一般解を足したものですから、式(2)のようになります。
     

・・・ (2)




 bは速度の係数ですが、今回は、この値は直接表面積に関係してきます。したがって、細かい部分を省略すると、式の中でm/b(質量/抵抗係数)は体積/面積に相当すると考えても良いでしょう。
 式(2)より、m/b →大 になると、V→大 になりますが、m/b →小 になると、速度 V→小 になって、いわゆる、ソフトランディング(ゆっくり着地すること)ができ、衝撃をほとんど受けないというわけです。
 式(2)の括弧内の第2項、 e-bt/m は時間 t→大(十分時間がたつと) で、e-bt/m→0 となり、速度Vは、一定の速度(v=mg/b:終端速度)に落ち着きます。このことは、空気抵抗と重力が釣り合った状態で落下運動していることを意味し、加速度がゼロになる状態、すなわち、0=mg−bvからも求めることができます。
 つまり、どんな高いところから落ちても、v=gtのように、速度が時間と共にどんどん大きくなるわけではなく、空気抵抗があるために、ある時間に達すると速度Vは一定になるというわけです。雨滴などは地上付近ではもはや加速度はなく、すべて終端速度になっていて、かなり高いところから降ってきても人が怪我をするようなスピードにはなりません。

 具体的に数値を代入してみましょう。

(1)空気抵抗がない場合
 東京タワー(330m)の上を歩いていた蟻が足を滑らせ落ちたとします。空気抵抗がなければ、

 gt2/2=330

 ここに、g=重力加速度で9.8m/s2とします。
 これより、t=8.2(s) が得られます。落下して t秒 後の速度は

 v=gt 

 ですから、

 v=9.8(m/s2)×8.2(s)
  ≒80(m/s)

となります。1(m/s) =3.6(km/h) ですから、時速になおすと 80×3.6(km/h)=288(km/h) となり、新幹線や飛行機の離着陸の速度に相当し、これでは致命的です。

(2)空気抵抗がある場合
 ところが、空気抵抗があるとして導いた式(2) で mg/b =0.5m/s (徒歩が 1m/s、マラソンであれば 5m/s)とすると、
 m/b=0.5/9.8、すなわち、b/m=19.6(s)、これを 式(2) に代入すると、

 v=0.5(1−e-19.6t

 これをグラフに表わすと以下のようになります。時間 t→大(十分時間がたつと)と書きましたが、実は0.2秒後には終端速度に達しています。

図1. 落下してから0.5m/sになるまでに要する時間


 次に、地面にぶつかった瞬間の力を知るために、「運動量の変化=力積」について述べておきましょう。いま、運動する質量 m の物体に力 F が作用して、速度が v0 から v に変化したとすれば、次式が成り立ちます。

         


 これを「運動量保存の法則」といいますが、今回の場合は、地面に叩きつけるわけではなく、誤って落ちるわけですから、v0=0(初速度はゼロ) と考えてよいでしょう。

 したがって、式(3)は

          

 あるいは

          

 となり、質量 m(蟻の体重は1円玉の1/10程度=0.1g)は判っていますから、地面へ衝突する直前の速度(V)がわかれば、式(4)より、力積 Ft は求められます。すなわち、
 m=1.0×10-4kg、v=0.5m/s ですから、

Ft=1.0×10-4kg×0.5m/s=5.0×10-5N・s となります。

 蟻が地面に落下した時の接触時間を0.1秒とすれば、受ける撃力は、

 F=5.0×10-5/0.1=5.0×10-4N

 となります。
 このままでは、蟻にとって大変なことなのかどうかは不明なので、相似則を使って人間のレベルに置き換えて考えてみましょう。
 すなわち、体重60kgの人間に直すと、人間の体重は蟻の体重の6.0×104/0.1=6.0×105倍ですから、長さは(6.0×1051/3=84、表面積は(6.0×1052/3=7,100倍、力は表面積に比例しますから

 F=5.0×10-4×7.1×103=3.55N

となります。これは、3.55N/9.8m/s2=0.36kg=360g 程度になります。
また、接触時間の0.1秒は、



 となり、360gの肉の塊を1秒程ぶつけられた程度で済みます。これなら問題なさそうですね。
 
 以上より、
1.物体の重さ(m)が軽い(小さい)こと
2.地面に衝突する直前の速度(v)が小さいこと
3.落ちた場所で、力が働く時間(t)が力の大きさに比べて大きいこと、
が必要条件になります。大きい動物の場合には、1.〜3.が大きな要因を占めてきますが、蟻の場合は岩やコンクリートの上に落ちる場合でも、1.や2.が十分小さいために3.はほとんど問題がないというわけです。

2003.10.11